˚ Nansatsu1

南薩移民史秘話
「二つの祖国に生きて」
An Immigrant story from Nansatsu-Southern Satsuma

1958年頃の鹿児島県の市町村(合併前)

2002年から二年間米国カリフォルニアで「南加鹿児島県人会」会長を務められた故上村民夫(うえむらたみお)氏は米国で誕生し、一度教育を受けるために日本に行きその後米国に戻った「帰米二世」である。
彼は、南カリフォルニアの42の日本人県人会が所属する「南加県人会協議会」の会長を務められ、これら県人会活動の傍ら2007年9月に没されるまで「潮音社」幹部同人としてカリフォルニアで短歌を普及する活動に取り組まれた歌人(雅号「南水」)でもある。
本稿は南水翁の長女が家族保存用としてまとめておられた「上村南水の年譜」に沿って日米での足跡を縦糸に、ご両親の誕生の地である南薩地域の米国渡航者についての調査研究「鹿児島県南薩地域からの海外出稼ぎ者と海外移民-米国カリフォルニアへの渡航者を中心に-」(鹿児島経済大学社会学部論集 川崎澄雄氏 1985年)に採録された古老の海外渡航関係者への聞き取りを横糸に、鹿児島県人の国際化の先駆けとなった米国における一世・二世の時代背景とともにそのご苦労を偲びたい。

上村民夫氏について

南水翁は鹿児島県揖宿郡頴娃町から渡米した両親の長男として1925年(大正14年)米国カリフォルニア州ロサンゼルス市で誕生し、両親の方針で日本の教育を受けるため6歳で帰国した。
太平洋戦争時には日本軍に召集され、終戦を迎えて結婚、1960年(昭和35年)に米国ロサンゼルスへ帰国する。
帰国後はガーディナーの仕事のかたわら、日本で興味を覚えた短歌のカリフォルニアでの普及に尽力される 一方、県人会活動では世代間の融和に心を砕かれ、さらに英語世代へ向けた鹿児島との絆の強化に努められた。
2003年(平成15年)には県人会内に英語を話す2世3世で結成された「鹿児島ヘリテージクラブ」所属の一行18名を率い鹿児島を訪問された。
同氏は旧制中学在学中大好きな西郷南洲にちなみ短歌の制作に当たって雅号を「南水」と称し、以降この雅号を使用しておられ本稿でも南水翁あるいは「翁」として使用する。(以下敬称略)

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鎌倉に短歌の師 大田青丘御夫妻をご夫婦で訪問
(南水翁は右端、1991年 歌集「二つの祖国に生きて」より)

 
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